山下洋輔スペシャル・ビッグバンド・コンサート2018
2018.7.13[fri] at 東京・サントリーホール・大ホール
今沢辰彦
クラシックの殿堂としても知られているサントリーホールは、その日ばかりは普段と少し異なる熱気に満ちていた。演者は日本を代表するジャズピアニストと彼が率いるスペシャルなビッグバンドで、そのメンバーは、それぞれが自身をリーダーとするグループで活動する凄腕のミュージシャンたち。そんな面々をズラリと揃え、演じるのはクラシックとジャズの超有名曲ばかり。
山下洋輔スペシャル・ビッグバンドは、2012年に「展覧会の絵」と「ボレロ」、2014年に「新世界より」を斬新かつ大胆なアレンジでお披露目した実績があるだけに、否が応でも期待が高まる。2018年のスペシャルは、自らの楽曲をビッグバンドにアレンジした組曲だ。よくある話と思いがちだが、フリー・ジャズを演奏する山下洋輔トリオの、あのテーマやこのメロディが、どんなアレンジで聞くことができるのだろうか。通常のコンサート以上にスペシャルな期待感が会場に渦巻いていたように感じた。
開演前のロビーには、1970年代から第一線を走り続けてきている山下と同年齢か、少し年下くらいと思われるシニア層の姿が目立つ。彼らにとって”山下洋輔の音楽をライブで聴く”ことは、何か特別な意味があるのだろう。会社帰りでスーツ姿の男性、女性の友人同士らしき二人連れなど、山下のファンが幅広いことに驚く。音大生と思われる若者たちが、クロークに楽器を預ける姿もチラホラと見られた。
オープニング曲は「ノッキン・キャッツ(Knockin’ Cats)」。作曲は山下自身だが、愛弟子にして今や世界中で活躍するコンポーザー・挟間美帆がアレンジを担当。軽快なスイングで演奏されるこの曲は、扉を叩く猫をイメージして作られたという。トランペットのハイノートが響き渡り、柔らかいサックスの音色がホールを包む。代わる代わるドアをノックするように全員がソロをとるさまは、これから始まる物語を演じる役者たちが、軽い挨拶代わりの自己紹介をするかのようだ。「キャッツ」は「猫」、そして「バンドのメンバー」を意味する言い回しでもある。洒落っ気たっぷりなタイトルも効いている。
続いての演目は、ジャズの巨人、デューク・エリントンの「極東組曲」からの3曲。超王道のジャズど真ん中である。1963年のインド、1964年の日本への演奏旅行にインスパイアされて作られたこの組曲(1965年録音)は、ご存じの通りビリー・ストレイホーン作。そのアレンジを大胆に書き換えたのは、山下洋輔スペシャル・ビッグバンドには欠かせないトロンボーン奏者&コンポーザー・アレンジャーの松本治。個性際立つメンバーたちに、巧みにソロパートを振り分けつつも「山下洋輔のカラー」で楽曲をまとめ上げている。
「Tourist Point of View」では、力強くも甘い音色の中川英二郎(トロンボーン)が観客を魅了し、アルトサックスがフィーチャーされる「Isfahan」では、池田篤の美しく温かみのある音の一つ一つが心にしみた。オリジナルはジョニー・ホッジスの演奏で知られているが、それを新たなアレンジで披露することはアルト・プレイヤー冥利に尽きる、というような名演。ラストの「Blue Pepper」では高橋信之介のドラムが圧巻。打楽器が持つ表現力の奥深さに驚かされた。そして主役は山下洋輔のピアノ。粒立ちの良い音、早弾き、肘打ち(したように見えたのだが…)。看板役者たちが、さまざまに趣向を凝らした技を繰り出すさまに、お客さん大喜びの図、といった塩梅だ。
第1部の最後は「ボレロ」。最初から最後まで同じテンポで刻み続けるリズムパターンと、2種類のメロディが織りなす壮大な楽曲で、もともとはバレエのために作られた曲。この曲名を耳にしただけで、スネアドラムのリズムパターンが頭の中で鳴り出す人も多いとも言われるが、アレンジの松本治は、あえてそのリズムパターンを排除して、フリーリズムのようなボレロに仕立て上げた(途中でトロンボーンセクションがリズムを刻む箇所が少しだけある)。
メロディを端正かつ官能的に歌い上げる部分と、それをモチーフにしながら少しずつ崩し気味で、フリージャズ的なニュアンスも混ざったような部分が入り混じる。時にはソリストが一人で、またある時にはホーンセクション全体でメロディを奏で、それにドラム、ベース、ピアノが絡まり合って大きなうねりを生み出していく。それぞれのメンバーが「フリー」な部分では、思いおもいのインプロヴィゼイションを展開し、それが”山下ビッグバンドのボレロ”をより官能的にさせ、陶酔感を味わうことができるような演出となっているように思えた。2010年の初演から8年が経つが、今やボレロは山下洋輔スペシャル・ビッグバンドの定番ナンバーとなったと言ってもいいだろう。
第2部は精力的かつ野心的なプログラム。自身の楽曲をビッグバンドにアレンジ、なのだが元々の曲がフリージャズ(!)という無理難題。ジャズ評論家の油井正一氏が「山下洋輔トリオの出現は、1969年度のジャズ界における最も輝かしい出来事である」と語ってから50年、トリオ結成の節目を先取りして、自らのレパートリーを組曲にしてしまうという大胆な試みだ。
オリジナル、つまり山下洋輔トリオ(何度かメンバー・チェンジをしているが)の編成はドラム、ピアノ、サックスからなるフリージャズだが、それがビッグバンドになると、凄まじい迫力と音の圧力が客席に押し寄せてくる。この日と同じ演奏をすることは、金輪際一切ない!と思えるほどの一期一会の音との出会いが楽しい。4,50年前から山下洋輔のファンです、とでもいうような年齢の観客も数多く目にしたが、その人たちの期待を良い意味で鮮やかに裏切るようなアレンジになっていたのではないだろうか。
山下洋輔ほど音で遊び、楽しんでいるミュージシャンもいないだろう。ジャズであるとかクラシックであるとか、そのジャンル分けは、さほど意味のあることではないのだ。どんな素材でも自分の土俵に上げ、巧みに面白がって”山下洋輔的ジャズ”に仕上げていく、その姿にファンが惹きつけられるのだと実感した夜だった。
<第1部>
●ノッキン・キャッツ(Knockin’ Cats)
作曲:山下洋輔/編曲:挟間美帆
●極東組曲より(From “Far East Suite”)
作曲:D.エリントン/編曲:松本治
・Tourist Point of View
・Isfahan
・Blue Pepper
●ボレロ
作曲:M.ラヴェル/編曲:松本治
<第2部>
●組曲 山下洋輔トリオ(Suite “Yosuke Yamashita Trio”)作曲:
山下洋輔/編曲:松本治
・第1楽章 クレイ(Clay)
・第2楽章 ロイハニ(ROIHANI)〜ミナのセカンドテーマ(Mina’s 2nd Theme)
・第3楽章 キアズマ(Chiazuma)
・第4楽章 クレイ(Clay - piano solo)〜寿限無(JUGEMU)
・第5楽章 クレイ(Clay - piano TACET)
・第6楽章 グガン(GUGAN)
山下洋輔(piano)
松本 治(trombone, conducting)
金子 健(bass)
高橋信之介(drums)
エリック宮城(trumpet)
佐々木史郎(trumpet)
木幡光邦(trumpet)
高瀬龍一(trumpet)
中川英二郎(trombone)
今込 治(trombone)
山城純子(bass trombone)
池田 篤(alto saxophone)
米田裕也(alto saxophone)
川嶋哲郎(tenor saxophone)
竹野昌邦(tenor saxophone)
小池 修(baritone saxophone)
photo by Akihiko Sonoda
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